まえがきより
それは、一九九二年の秋のことでした。私(歯科医)が、その日の診断をまだ続けている午後七時過ぎのことです。
ある老人病院から顎関節の脱臼で苦しんでいる方がいるとの知らせを受け、急ぎ駆けつけた時のことでした。
その患者さんの病室に向かう廊下は、すでに保安灯のみとなり、薄暗く、とても不安な雰囲気でした。
その病室に行ってみると、そこは小さな照明のもと、恐ろしいような鎮まりです。
その鎮まりの中、患者さんの顎の整復もとどこりなく終わり、その足で以前から治療している方々をあちこちの病棟へ訪れ、四方山話をしていると、不意に一人の入院患者さんが、
「先生。この時間(午後八時)になると、ここは死体置き場のようになるとですよ・・・・・・。」と、言うのです。
私は、身体が引きつるような衝撃を受け、その言葉に何か答えようにも、声を失い息をのんだまま、心の中で、「正にその通りだ・・・・・・」と、思ったのです。
そこは薄暗い病室に、ベッドが並べられ、それに横たわる人々は、身じろぎもせず、じっと臥せっているのです。勿論、一言の言葉どころか、咳ばらい一つとてありません。
すでにBGMは止めれており、病室内でテレビを観ることなど、きつく禁じられているようです。
その湖底の凍るような重い静けさに包まれ、そこに、人が居ることなど消しとんでしまうほどの
鎮まりの中で、皆さんが、どんな思いで眠りについているのかと思うと、哀れみ、悲しみ、憤りといった月並みの言葉を突き抜けた烈しい感情が私の身体を震わせながら、走り抜けていくのです。
「死体置場のような・・・・・・」、何という言葉でしょう。
そこが病院の中とはいえ、人が、そのような雰囲気で眠りに就かねばならないとは・・・・・・・。
読者のあなたはどう思いますか。
その時から私は、この方々が眠りに就く折、その心を少しでも柔らげ、鎮ませるためには、私に何が出来るかと、考えることとなったのです。
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